北海道大学での生活0(二次試験直前に入院!)
(モザイク付きですが、術後の写真載せているので注意してください)
1違和感
忘れもしない1/30。(笑)
いつものように予備校で勉強に励んでいました。正午をまわり、ひと段落しコンビニに行こうと立ち上がり歩こうとしたその時!
肺に違和感を感じ、とても苦しくて歩きにくいことに気がつきました。
階段を下りるにも肺が「ゴロゴロ」となり歩くことができませんでした。
何かがおかしい・・・・。
そう思いながらも、コンビニに行くのは中止にして再び勉強に戻りました。
(親に連絡したところ切り上げて病院に行けと指示がありましたが、こっちは勉強で必死なので最終で見てもらおうという程に軽く考えていました。)
夜、梅田から地元に帰り家の近くの内科に行きました。
病院で親と合流し、もっと早く来なさいよと叱られた。
2診察
近所の馴染みの内科での診察。
診察は和やかに行われた。
お医者さんの弟が北大に入学したきり、北海道に憑かれて戻ってこないなどお花見のような会話が行われた。
そしてレントゲン室へ。
レントゲンを撮り何事もないことをドキドキしながら待っていた。
この時期に一秒も無駄にしたくない!
そう思い静かにお医者さんの顔色を伺っていた。
3病名
肺気胸
肺に穴が空いてしぼんでいるとのこと。
救急車は必要ないが、手術が必要なレベルだそう。
お医者さんが医者の顔に変わるのを見た。
「ここまでほっておいた自己責任やね。すぐに総合病院に行きましょう。たぶんこれは入院だね」
後頭部をかなずちで殴られたかのような衝撃だった。
比喩ではない。
現にめまいと吐き気を覚え、倒れかけた。
そんな僕をみてひとこと
「自己責任自己責任。もう大人なんだから、体調管理ぐらいできとかなあかんやろ」
厳しい.......そうだよなあと思った....2月の冬
4手術
色々な治療法があるが、肺に管を突き刺して肺を元の大きさにまで戻す手術が行われることになった。
死ぬほど痛かった。いわゆる鈍痛。
乳首の下あたりを切られ、目一杯管を突っ込まれた。
衰弱しきった僕の手を握り、
慈悲の目で必死に応援してくれた大阪大学の研修医の男性。
人の温もりを感じた。
5入院
結局入院。まあ肺が元に戻る待で安静にするってこと。
入院して感じたことは、看護師さんの偉大さ。
なんて優しいんだ。
無力で見ず知らずの僕に対して、トイレの気遣いや食事の気遣い。すいみんの気遣い。
心が温まった。
母親には心配をかけたと思う。妹たちも心配したのかな。
おばあちゃんやおじいちゃん、父方の親戚(最近まで疎遠であったので10年振りくらいの再会で名前もごっちゃになってた)がお見舞いに来てくれた。
まああまり勉強はできなかったし、私立受験もできなくなったけど。
入院生活はみんな優しくしてくれるので、楽しかった!
6退院
退院し、父の兄妹(とその子供達)ガストに行った。ごちそうさまでした。
後悔していることが一つ。
父の兄妹とは幼稚園以来あっておらず、顔や思い出はあるものの久しぶりすぎて。入院中、会話してて名前が思い出せなくなった。思わず名前を聞いてしまった。
悲しそうな顔をさせてしまい。本当に心を痛めている。
退院時、お医者さんから一言。
しばらくは肺に負担のかかることはできないし、再発率の高い病気なのでこれからも覚悟しといてとのこと。
北海道。つづく。