R_26haruの日記

北海道の学生の雑記。お手柔らかに。

少林寺拳法

私は今年2019年、第52代少林寺拳法部主将に就任する。

北大少林寺拳法部歴史の一端を担うことに対して、私は大変名誉であることであるという風に思っている。

 

 

今回は少林寺拳法について紹介しようと思う。

ⅰ.少林寺拳法はなぜ生まれたのか

少林寺拳法は1947年に香川県で開祖宗道臣によって創立された日本の武道である。

 

宗道臣先生は、日本人、日本の元陸軍人であり、武道家、教育者であった。また北少林義和門拳第21代正統継承者(事実上の嵩山少林寺少林武術最後の正統継承者)でもある。

 

1945年8月9日、開祖は東満州国の国境の町綏陽でソ連の一方的な攻撃にあい 、それから約1年をソ連共産軍政下にあった満州で生活することになった。

このとき、ソ連の徹底した略奪による過酷な現実を通して、開祖は敵地における敗戦国民の惨めさと悲哀を十二分に体験した。

1946年5月初旬、開祖は、残留をすすめてくれる中国人有志の好意をふりきって東満州から夢にまでみた祖国日本に引き上げてきた。

 

 

いざ帰国してみると、日本は敗戦直後のGHQ占領下の混乱期であり、不正と暴力が白昼横行し、道義も秩序もない修羅場となっていた。三国人の暴力も横行する中、日本人はお互いにいがみあい、自分だけの幸せを願い、他人の不幸を見て見ぬふりをすることに慣らされていた。

青少年の多くは、将来に対する夢と希望を失い、目前の享楽に我を忘れ、過激な外国思想を受け入れ、日本人であることさえ忘れかけているようなありさまであった。

 

 

この状況に開祖は「これではいけない、これからの半生を気骨ある青年の育成に捧げよう」と拳を主行とした人づくりの道として少林寺拳法を創立した。

ⅱ.少林寺拳法少林拳の違い

中国の嵩山少林寺に伝わる「少林拳」「少林武術」と我々の日本生まれの少林寺拳法は全く別の団体であるが、関係は深い。

詳しくは一般社団法人 SHORINJI KENPO UNITY「少林寺拳法との少林拳との違い」を参照されたい。

https://www.shorinjikempo.or.jp/unity/only/difference

 

ⅲ.僕が武道を始めた経緯

お金の都合で大学一年生の夏に基礎スキーサークルを辞めた私は何か汗をかいて熱中できるような活動を探していました。

ふと、叔父が空手の師範であることを思い出し、何気なく「合気道」「空手」「少林寺拳法」の三つの大学の団体に見学したいという旨のメールを送りました。

そこで一番返信が丁寧で早かった「少林寺拳法部」に入ることにしました。

 

ⅳ.週12時間も時間を割いて修行する目的

ふりかかる火の粉は払えるほどには、強くありたい

当初こういう思いを主なものとして、修行をしています。

不正や悪を倒し自分の平和を守るのは、力と勇気がないと達成されません。

これは自分の強さを誇示し、喧嘩を奨励するということでは、決してありません。そんな理念は武道の本義から反しています。

 

心を修め、技を練り、身を養い、自己を自らが真に寄るべとすることができるような人間になれるように日々修行しています。

己こそ己の寄るべ。己をおきて誰に寄るべぞ。

 

ⅴ.私の考え

誰と比べて誰が強いだとか、そういうことは実にくだらないと考えている。銃などといった兵器が発達したこの世において、無手の格闘技における人同士の相対的な強さに価値はないと思う。

 

しかし、武道を通して得られる誇りとか自信とか、礼やお互いを認め合う精神は実に価値のあることだと思う。

 

また、私は強くなることに価値はあると思う。それは相手を蹂躙してコケにできるなどという野蛮な意味ではない。

 

うぬぼれない自信を持ち、争いを止め戈をおさめる勇気と行動力を持つこと。

この勇気と行動力の裏に確かな実力があるべきだという意味である。

 

 

参考文献

少林寺拳法副読本」

編集、発行:財団法人 少林寺拳法連盟